影」の概念-2影」の概念 ユングが影をどのように定義しているかは、簡単なようで案外分かりにくい。 例えば彼の言葉を引用すると 「影は、その主体が自分自身について認めることを拒否しているが、 それでも常に、直接または間接に自分の上に押しつけられてくる全てのこと、 -たとえば、性格の劣等や傾向やその他両立しがたい傾向-を人格化したものである」 と述べている。 これで有る程度の事は解るが、 では影と、ユングのよく言うコンプレックスとはどう違うのか、 あるいは、無意識その物と同じかという疑問が生じてくる。 彼は、夢に現れる人物像を、 夢を見た人と同性の物を「影」と呼び。 異性の物を 「アニマ」(男性の夢の中の女性像) 「アニムス」(女性の夢の中の男性像)と呼んでいる。 「影との出会いが『弟子の仕事』とするならば、 アニマ(アニムス)との出会いは『師匠の仕事』である」と 述べている。 そこからすると、影はもちろん無意識その物などでは無いとと思われるし、 アニマ(アニムス)の問題に比べれば、比較的「容易な」事なのかとも思われる。 しかし、また他の所で彼は 「少しの自己批判力を持って、人は影を-その性質が個人的な物であるかぎり-見落とす事が出来る。 しかし、影が元型として現れるときは、アニマやアニムスの場合と同様の困難に出会う物だ」 と述べているのである。 このような彼の言葉を断片的に見ていると、ユング自身も用語の使用に混乱をきたしているとさえ考えられる。 きららさん、たしかに難しいですよね ・・・中略 ユングの弟子たちが同様の疑問を抱き、ユングの言葉を引用し合いながら議論しているのを聞いたユングは怒りを込めて 「そんなのはまったくナンセンスだ!影とはただ無意識の全体なのだ」と言ったとの事である。 それはユングの追随者たちが影と言う物がどのように見出され、個人にとってどのように体験されるかを忘れてしまい、ただ知的な議論にのみ巻き込まれるのを、ユングが極端に嫌った事を示している。 ユングは体験を重視する。 彼は自分の理論が「経験的に」つくられて来た事を常に強調するが、確かに彼は自分の経験に基づいて理論を作り上げるので、それは時代とともに変遷するし、その様な経験を背後に持たずに彼の理論だけを見ると、混乱したものと感じられるのである。 その上、影と言う用語はあくまでもイメージの世界から生じたもので有って、概念的な明確さを初めから拒否しているものと言えるのである。 ユングは、イメージと概念を対比して、 イメージは生命力を持つが明確さを欠き、概念は明確であるが生命力を欠くものだと述べている。 影を明確に把握しようと白日の下にさらすと、それはもはや影の特徴を失っているとさえ言っているのである。 |